生活保護3代。甘えか、社会の無策か!

 9月3日付朝日新聞社会面に「生活保護 ヤミ金万来 福岡・川崎 支給の朝取り立て」の記事。内容は、福岡県川崎町で生活保護者を相手に生活保護受給者カードを担保に金を貸すヤミ金業者がおり、元川崎町の町議会議長も違法にカードを担保に金を貸したとして逮捕されたというもの。

 川崎町の生活保護受給率は千人当り161.3人全国平均(12.5)の13倍だという。人口2万人を切る中で3千人余に生活保護が支給されているとの事。この記事の中で気になる事が書いてある。筑豊地方で活動するケースワーカーの言葉として「炭鉱が閉山した後、地元には職に就けない貧困層が多く残った。働く場が乏しいため生活保護受給から抜け出せず、3代続いて受給している場合もある」。

 これと同じような記事を20年位前だったか、読んだことがある。長期に生活保護を受けている家族で、子供が親の働きに出る姿を見たことが無く、子ども自身がこの社会は働かなくても遊んで生きていけると思っている、というような記事であった。同じく筑豊地区の話だった。遂に3代目までになったかと思う。

 今回の3代受給の例は、正に「生活保護を受けておけば遊んで生きていける」と勘違いしている人間がいるのではないかと疑わせる実態を示している。私も筑豊の炭住で小さい時は生活していた。私の父などはデモばかりするから炭鉱が潰れたと言っていたが、それは完全な間違いで国が石炭から石油にエネルギー源を変えたからに過ぎない。炭鉱が潰れて父も職安通いをして、水道工事会社かなんかに就職したようだが、中学程度の水の圧力の問題が解らないと嘆いていたのを記憶している。父は尋常高等小学校しか出ていなかったのだから、解らなくて当然だろう。水道会社も長続きしなかったようで、結局、子供の時に騙されて弟子入りさせられて、手に職を持っていた畳職人の職に就いた。

 「仕事が無ければ、仕事がある地方に移住する」。これは当然の事と私は考えていたのだが、現在の常識では間違いなのだろうか。私は島根の山奥の出身である。生活できないから親が炭鉱に出てきた。40数年前までは中学卒業生達が、金の卵と呼ばれて東京に集団就職列車で出て行った。都会に出て行くことを薦めている訳ではないし、田舎を捨てることを奨励している訳でもない。生活できないなら、自分で生活できる方法を探す義務が国民にはあるだろう。親が今更移住できない事情があるなら、子供が都会に出て働く。今は若い者も就職は厳しく、益して親を養うことなどほとんど不可能ではあるが。そういう意味では、ワーキングプアーといい、大恐慌といい、益々弱者が生き難くなった時代ではある。川崎町は将来の日本の姿を先取りしているのかもしれない

 炭鉱が潰れて50年弱。50年間生活保護を貰っておれば、3代になるはずである。改めて問いたい。この間、行政は何をしていたのか。川崎町は、「この10年で町に誘致できた企業は木炭商社1社だけ。五つ造った工業団地のうち四つはほとんどが空き地のまま残っている。」という。どこもここも工業団地しか思い浮かばないのか。行政としては最も頭を使わない方法を他を見習ってやっただけか。そもそも元町議会議長が生活保護者のカードを担保に金貸しをしているようでは、行政自体が生活保護者の自立支援など最初から全く考える気がないと考えた方が良いのであろう

 この筑豊の状態が正常でない事は明らかである。いつまでこの状態を放置するのか。この状態は、国にとっても、地元にとっても、当人達にとっても不幸である。国が民主党政権になって何か変わるのだろうか。もしこの状態を変えられたら凄いと思うのだが。

(2009年9月27日 記)

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